今日
いきなりですが、平和についていろいろ考えてしまいました。
自分は被爆地広島で生まれ育ってきました。
今、縁あって関西の大都市に住んでいるのですが、
初めて広島を離れてみて思ったことがあります。
「他県の出身者は原爆についての知識がほとんどない」
ということです。
祖母や祖父は60年前に広島市の比治山という小さい山
に家を持っていて、その家は原爆にによって破壊され
祖父もまた耳を切断するという大怪我を負ってしまいました。
幸い山が爆風や熱線を防いで命は助かったのみたいです。
祖父は自分が生まれる前に他界し、
祖母は98歳という高齢まで生き、つい最近他界しました。
当然この二人は原爆手帳というものを持っており、
医療などの控除を受けながら老後生活していたみたいです。
自分はその祖母から原爆に関する生々しい話を聞かされて育ちました。
以下祖母の話・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
原爆が落ちてしばらく、祖母は山から降りて広島の町がどうなったか分からなくて
山から下りて確認しに行きました。比治山から降りる途中、山道にはおびただしい数の
被爆者が死んでおり、祖母は泣く泣く被爆者の○骸を掻き分けながら山を降りたそうです。
広島に着くと川や池に、これまたおびただしい数の○骸が散乱しており、この世の終わりだと
思ったそうです。
破壊された家は家具やら置物やら価値のあるものがたくさんあったみたいなのですが、なんと
「火事場泥棒」
に金めの物をすべて盗まれたそうです!
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なんとも、人類史上最大の大惨事に泥棒をするやつがいたというのです。祖母や祖父が生き残って
いたから今の自分があるわけですが、このクズ泥棒もまた生き残ってしまった(笑)
まったく世の中不公平だらけです。
なにが書きたいか分からなくなりましたが、以上です。
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